世間が騒がしい
世間が騒がしい。今に限ったことじゃない。答え合わせの時期に入ったというところか。
わたしは別に霊能者でも預言者でもない。
幼い頃からここにいることの違和感はあったし、人と違うことは自他共に認めることだった。
だが、何か、自分だけが特別だと思ったことはない。
わたしの前と後と区別するなら、やはり東日本大震災しかないだろう。あれがきっかけでいろんなことが壊れた。壊れたと表現するとネガティブだけれど、多くの人が亡くなり、やっぱり壊れたと言おう…。
いろんな人がいろんな情報を発信している。過去のこと、未来のこと。
震災がなぜ起こったのか、聞いてもいないのに、うっかり目にした後の、後遺症といったらなかった。
真実はわからない。きっと、それを発信している人にだってわからないだろう。
だが、心揺さぶられたのは間違いなかった。
吐き気がした。
違和感は、どこまでいっても違和感だ。
知りたいと思う氣持ちと、恐れが混在する。
だが、それを超える術も、この10年で身につけただろうと、自身を信頼する想いもある。
真実が真実として、どう大衆が知ることとなるか、そんなことわからんし、知る必要はないのだろう。
わたしが、できることとして、発信してきた全てが、今のわたしだ。
これからも変わりがない。
大丈夫だよ、わたしの愛する人たちがこれ以上傷を負わないよう、大丈夫、安心して、何も起きていないと声かけることが、わたしのできる最善だろうと思う。
激動の世に生まれ、感じ、得たものの集大成がもう目前に迫っているということ。
今日見た夢も、そんなバラバラをどうまとめるか、試されているのだと感じた。
ここに在ること。
在るを知ったわたしは、今、わたし自身が在り続けること、立ち続けることの重要性に氣づいている。
地に足つけろ。大地に根を張れ、わたしだけじゃない。みんなみーんな、連れて行くために。それがしたかった事だろう。お前ならできるよ。神さんは今日もわたしに優しい。
読んでくださった方、ありがとうございます。