乗り越えるって
どうタイトルをつけようか、決めずに書き出すのは初めてかな。
ずっと書いてなくてw
二ヶ月ぶりとかw
んー。そね。身内を亡くした方に触れ、自分がどう乗り越えたとかってあるかなーってふと思ったの。
震災の時に亡くなった友人。5月に亡くなった父。まず思い出したのはこの二人かな。
前のブログに父の死からの感情を整理したものを載せた通りなんだけどね。
入院が決まってから亡くなるまでの間が急すぎて、頭が追いつかず、抜け殻みたいになった時期もあったし、友人なんかは311だったから、混乱の中、最後のお別れも出来なかったしね。
時間は概念っていうでしょ。そう思うの、わたしも。行ったり来たりする。何年経っていようが何ヶ月だろうがそこに時間など無いのだから当たり前よね。
笑って過ごす毎日のように見えて、突然その悲しみに胸が鷲掴みにされる。瞬間そこに、戻る。
震災から11年経とうが、日々追われようが、時々、彼女を想うし。それは乗り越えた乗り越えないなんて言葉で片付けられない、はっきり白黒つけられない感情。父もそう。街に似た人を見かけるたび、胸が苦しくなるし、時に涙が襲う。
悲しみは、喜び以上にわたしを形成しているのだろうなと、突然自分自身を俯瞰したりする。
あなたが(わたしが)感じた感情は、無視などできないのよ。
無視しないでと言っているのではなく、無視できないのが自然だということ。
喜びや楽しさにいっぱいになった時はそれはそれで素晴らしいし、そうあれたら良いと思う。
でもわたしたちは生身の人間であり、情があり、思い出や後悔が時に雪崩のように襲うこともある。
それでいい。
それでいいの。その感情に蓋をすることなんて無い。
そう自分に許可し、悲しみ怒り、とことん味わい尽くせばいい。
今の感情に思いっきり身を委ねて、落ちるとこまで落ちればいい。
そして、きっとね、うまいタイミングでふわっと手から離れることができるから、さ。
また戻ったとしても、それは決して一緒なはずはないしね。
わたしは、ちゃんとキツいなーしんどいなーを感じとれるってことは、自分を労わり愛することだと信じてる。
悲しみにある自分を、どうか責めないで。
涙に暮れる日々を、責めないで。
少し楽になって、また戻って、そして、また楽になって。
その繰り返しでいい。繰り返して生きていくのが人だから。
あなたは(わたしは)、すでに完璧なんだよ。どんなあなたも(わたしも)美しい。
あなたにわたしを見せてくれてありがとう。わたしは一人ではないと改めて思えた時間でした。
美しいあなたに遠い地から、ハグと愛を送ります。必要な人に届きますように。love。
読んでくださった方ありがとうございます。