今、思うこと
世の中が騒がしい。
ずっとだ。
ここにきてどんどん騒がしくなってきている(らしいw)。
基本テレビを観ない。色々煽るし、直感が鈍るのを嫌って見なくなった。時折、夫がつけるのを目にするぐらい。
コロナが騒がれてから三回目の夏になってしまった。色々弊害がありすぎるぐらいある。
ここ(blog)に今、思うことを記すのは初めてかもしれない。
わたしの基本スタンスというか、想いは常に平和を求めている。何か争う状況にあっても、真ん中でいたい。どちらの言い分も分かるなんて、八方美人も大概にしろと感じる人もいるかもしれないがね。
だが、俯瞰こそ今自分が自分に課していることと言っても過言ではない。
言いたいことは山ほどある。だが、求めても仕方のないことだらけだ。いつしか答えを求めるのではなく、それらを見て聞いて感じたことに集中した。ゆえに見えない聞こえないものは=感じられないのだから、それらを排除した。
わたしが、わたしたちが見ている世界は、見せられている世界だ。自分の何かに触れたタイムライン上で見せられた世界。わたしの思考や選択によって、どんどん入れ替わる。人の数より多いその選択肢の中に、どうせなら良いものを感じたい、楽しみたい。
他者の選択にとやかく己の思考を入れないこと。あなたの選択は常に最善である。わたしの選択も常に最善である。受容。
何故?と嘆く前に、それがいい、それでいいとはっきり断言する。
過去、他人に良かれと思ってしたことは、逆に、手枷足枷になって、自らを苦しめたこともある。だからこその真ん中。俯瞰。
それは…愛と思う。
他者を認め、距離を置くのは、わたしにとってはとても重要であり、自他を愛する手立てに思う。
打つ打たない、するしない、どちらの選択も最善であり、失敗なんてことはないのだよ。あなたが(わたしが)決断してきたことに、悪いことなんてない。そこに行き着いてしまう。
マスクをしていない人をバスの中で責め立てる動画を見ても、それをしたかったのねって思うんだよ。決めてきたのねって。ここで人を傷つけようと決めてきたのではなく、意見の相違はあれど、その人の正義を貫こうとした結果かもしれない、と。
(決して擁護ではない。やり方は間違っているし、わたしならそんなこと絶対しないからね。)
他者を不用意に傷つける選択を人はしてしまうことも十分あり得ることだから。
正義って振りかざした途端正義じゃなくなる、でしょう?
その未熟さも、人間ゆえになのだよ。人間をしたくてここにいるのだもの。
優しくありたい。他者にも自分にもね。
そうすると、反対の意見であっても、受容する、それ以外ない。
わたしは打たないが、打った人を責めたりしないようにね。あなたはそうなのね、それだけなんだよ。二回目で氣づいて後悔する人が仮にいたら、あなたならどうする?
そこも試されていることの一つに思うのだ。
わたしの友人たちが、投げかけてきた、今現在の世の中の流れへの考え方。そこから自分なりに考えていることを記してみました。何書いてるかわからんちんの内容になってもたw
今のわたしの思考で言えるのは、どっちを選んだとて、あなたであることは変わらない。わたしがあなたを好きでいることもね。だから、みんな違っていることが当たり前だと、受容する世になることを切に願うよ。
読んでくれて、ありがとうございました。