因果応報
月並みなタイトルをつけてしまった(w)
良いことをすれば良いことが返り、その逆も然りというシンプルな法則。
突然だがなぜこの話を書こうと思い立ったかというと、きっかけは母だ。
母はとにかく苦労が絶えない人で、親戚のゴタゴタもよくある話といえばそれまでなのだがね。
この『因果応報』も幼い時、母に教わった言葉だ。
母は8人兄弟で、兄が三人、姉二人、妹二人。実家は勿論、長男が家を継いでいた。
10以上歳の離れたこの長男が、幼い頃から、とにかく母を虐めたらしい。
爺さんが現役バリバリの頃、あるお坊さんと話をした時に、家を継がせるならこの子にしなさいと、母を指したらしい。この娘にしないと苦労するとね。だが時代も時代、当然長男が継いだ。
そのお坊さんが当たったのか、長男が選んだ嫁というのが、絵に描いたような鬼嫁で(w)
祖父母が逝くまでの(それ)は、とても酷い有様。実の親をほっとけなかった母が全ての面倒、後始末をつけた。プライドの高い長男夫婦は、面白くなく、母に執拗に嫌がらせをしていたし、大体、わたし達子供がいない時を狙うのだからタチが悪かった。
まー、ここまでの話はよくある話だ。ここに当然、家や金も絡むし、それをわたしが産まれるずっと以前からやっている。詳しい話は長くなるし記載しないが、人でなくなったものの有様をわたしもこの目で何度も見てきた。
ここで、長男夫婦の家の話になる(突然w)
そこには三人子供がいて、わたしより世代的には10以上離れるのだが、長男・次男・長女。
この家の長男も、まー曲者で(w)祖父の金を騙し取って外車を買ったり、とんだ阿呆だった。
阿呆だった…。亡くなった人を悪く言うのはご法度だが、彼は、30代で急逝している。
そして、次男。次男は昔からとても心優しい穏やかな人で、優しくしてくれたのを覚えている。そんな彼は20歳を迎える少し前から鬱と診断され、60を過ぎた今も病院から抜け出せない。
長男夫婦の頼みの綱である長女は、福島より遠く離れた東海地方へ嫁に行った。
省みる機会はその都度用意され、氣付くきっかけはたくさんあったと思う。
けれど彼らは、そこに氣がつかず己の欲望とプライドを捨てきれず理不尽に人を傷つけ続けた。
読んでくださった方はお分かりでしょう。
タイトルにある因果応報。因果は何もその者に巡るとは限らない。
けれどちゃんと断ち切る機会もあるのが、この因果応報にも含まれていると感じたのは、
震災で避難した兄夫婦は結局、東海地方の娘を頼ったらしいのだが、その後何年もしないうちに兄嫁は病に冒され亡くなった。その兄嫁が亡くなったことがきっかけで、長男が娘に促されるようにわたしの母に謝罪を入れてきた。一回ぐらい泣きながら謝罪されたとて、許せる話じゃ無いぐらい酷いことをされ続けた母がどうしたかというと、
許す、選択をする。
わたしはとても驚いたよね。あっさり許したのだから、やっぱりこのひと凄いって実の親なのに思ったよ。
彼女の根底にあるものはやっぱり、因果応報なんだよね。我が身だけ見ていると違う。我が身だけでなく子、孫、大切な人たち、彼らを想い、(許す)選択に至ったんだろうと思う。
因果は何も我が身に返るとは限らないということ。
わたしも自分を省みて、律していこうと思う。
先日東海地方からこの長女が線香を上げに福島に帰省した際、直接泣きながら我が親たちのしでかした事への謝罪を受けた話を聞いて、この話を書こうと思った次第です。
読んでくださった方ありがとうございます。