娘にとっての311
娘ともいろいろ話をする。311もだし、いろいろ。
こないだ車で二人で、311の話になった。
彼女は当時小学校1年生。
当時1歳になったばかりの姪に比べるといろいろ記憶していてもおかしくない年齢だ。
わたし達夫婦が当時一番に考えたのは娘の事。
急激な変化。愛する人たちと突然意味もわからず引き離され、わたし達大人と何ら変わらず、多くのものを失った。
そんな我が子の(こころ)を守るのに、必死だったように思う。
19歳の彼女は、あまり記憶にないと言う。震災の当日も、その後も思い出そうともしてこなかったのかもしれないが、(もう一人の自分)ごと、他人事のように俯瞰している自分がいると話してくれた。
それは、お父さんとお母さんのお陰かもしれんと笑った。
自由のない避難生活の中でも、わたしの話を聞き自由にさせてくれたと、改めて感謝していると言われた。
あなた方は凄いです、と。
記憶にないと言いつつも、断片的に持つシーンシーンを話してくれて、自分に降りかかった事でキツいな、今も引きずって引きずってどうしようもないことは、とりあえず無いのだよと彼女は笑った。
良かった。
記憶になど、留まらないで欲しいと願っていたからね。
けれど我々が注意したのは、蓋をするのではなく、彼女の成長を見つつ話はしてきたという点。
夫が解雇され再就職出来た話も、きちんと話してきた。
そんな中、一番こころ掴まれるのは、我々夫婦が一時帰宅した際に出会った、どうしようもできなかったビーグルの話だと、また静かに話してくれた。
ブログで以前触れた、彼のこと。
一時帰宅を許されたとき、自宅を出る際に出会った一匹のビーグル犬。
ビニール袋一人一枚分、それしか持ち出しを許されず、生き物食べ物の持ち出しは厳禁。
避難先はアパート暮らし。
その子を連れ帰るなど、当時の我々には到底無理なことだった。
娘が中学生になった頃、その話をしたように思う。
それを彼女は、未だこころ痛むと話す。
わたしもだ。他のことは淡々と話せても、どうしようもできなかった彼のことを忘れたことは無い。
猫を、あられを迎える前、動物を家族にすることへの抵抗があったのは、彼への想いがあったからだしね。
今、お空で飼い主を待つ彼のことを、心に留め置く娘をみて、良い娘に成長したなと改めて思った。
彼女のこころを守るのに必死ではあったけど、決して蓋をせず、折を見て話をした選択は間違っていなかったなと。
そんな心の共有は、親や子であっても別ものと理解しつつも、嬉しい出来事の一つでした。
読んでくださった方、ありがとうございました。