引き戻された感情と己であること
震災についてはずっと書いてきてなかったし、話が被っていたら申し訳ないのだが。
時間の間隔が無くなっていて、頭で考えないと何年経っているのか分からなくなるのが正直なところ。
昨夜、夫(神)が帰宅して一杯し出したのが深夜0時。
わたしは寝ようと思ったのだが、何かあると彼は必ずこの時間に話だす(笑)
夫の職場に初めてきた親子。福島県というのはほんと特殊で、住民票を移さず避難先に留まる選択をする人が多い。
その方もそうだった。学区外で在るのだが、通うのは可能かと聞いてきた。問題はないと答えたそうだ。夫から根掘り葉掘り聞くことは無い。だが同じ境遇とわかると、わたしも避難し、職を失い、今この仕事をしているのは福島の子どもたちへの贖罪だと話したと。
するとお母様が急にソワソワし出した。
ん?と思っていたら、「本当にごめんなさい…、主人は東電なんです。ほんと、申し訳ない」と。
夫は、ああ…、思い出したこの感覚。うん…。なんていったらいいのか。あの頃何度となく味わった感覚。
当然、彼の中では東電の社員一人一人に怨恨など存在していないし、当時から罪を憎んで人を憎まずと言ってきた事に嘘はない。
埼玉に避難した時、避難前の町の住民が隣の自治体に避難をしていると知り、知っている人かもしれないと水一箱を持って当時貴重だったガソリンを使って夫と迷いながら行ったことがある。(どうしても知っている人に繋がっていたかった)
ある施設に到着し、話した相手は、小さなお子さんと赤ちゃんがいるご家族だった。
知らない人ではあったし、あちらもなんの縁もないのに水を渡しにここまで来た事に感激されていた。
帰りしな、ご主人が夫にだけ声をかけた。「わたし…東電なんです…、本当に申し訳ない、ほんと…」
避難している家族に会いに一時的にこちらに来ていたと、またすぐ福島に戻るとそう言ったそうだ。
わたしが感情的になると思い、夫は帰りしなの車の中で話したのだがね。
その情景に一氣に引き戻された。
前段のお母様に謝られ、引き戻された。そう話してくれた。
当時、そんな事が度々あった。自宅への一時帰宅の際、防護服に着替える体育館には東電、それから関連する企業の職員がずらっと並んでおり、中には知っている人もいた。
大体が、深々頭を下げる。夫の知り合いは飛んで来て謝った。
何度も言うが、夫には怨恨は無い。誰かのせいで、そんな概念が存在しない。
けど一氣に引き戻され、吐きそうになったと、笑った。
いろんな人がいる。東電の社員にもその家族にもいろいろ。別の知り合いは、ご主人が東電社員でわたしの隣町に住んでいる。彼女が口にしたのは、○○町は良いよね、遠くに避難したんだから。耳を疑った。避難に近いも遠いも無いし、あの時は全てが異常でみんなギリギリだったのだから。
日常は淡々と存在し、そこに留まる事は無い。
一時的に忘れている、もしくはそこにただ置いておいた感情は、予期せず蒸し返すように心を掴む。
お母さん、わたしね、なんかこの感覚思い出しちゃいましたと笑ってしまったらしい。そして、お母さんが謝ることでもなんでもないですよ。どうか謝らないでくださいと。
彼に学ぶことが多い。埼玉での出会いは後に、福島での再会に繋がっていたり、今回の親子の出会いも、対応したのが彼で良かったと思う。なぜなら、そのお母様はそれらを話せないできたのだから。
それは、わたしと一緒だと、そう思った。だから夫で良かったとね。
どんな状況であっても己であると思わずにはいられない。
己が己であれば揺らがない。一貫として彼は常に彼だったし、わたしはわたしだった。
まだ申し訳ないと思うそのお母様も、もう十分苦しんだはずだし、それは嫌というほど伝わってくる。どうか手放し楽になってくれたら、そう夫と話した。
光を愛を持って接すれば、必ず光と愛が返ってくる。
宇宙の法則は、ここにも存在するのさね。
なかなか、一種タブーな話なのだけど、これがわたしの事実だし、当事者にしかわからない話も時々綴れたらと思う。不定期ですがね(笑)
読んでくださった方ありがとうございます。