新コロ
同級生の父親が亡くなったので通夜告別式の日程の連絡が来たのが先週の金曜日。
その日の午後、同級生が陽性になったから日程にずれが出ると電話が来た。
そして、今日(火曜日)。同級生の母親が陰性にも関わらず濃厚接触者により、両者不在のまま荼毘にし、通夜告別式は中止の連絡が入った。
一体、いつまで続けるのか…。
わたしはこの騒動を、随分前から疑っている。だが、いろんな人がいる。信じるのも信じないのもその人自身の問題であり、介入しない。
(いろんな葛藤があってそこに至った)
だが、三年にもわたる騒動の中、悲しみにくれる人の数が一向に減らない。
風邪の一つだと、厚労省も明言しているこれに、未だ、陰性だ陽性だ、濃厚接触者だと騒いでいる。
ここに、このことを書くに、わたしにも葛藤があった。
5月に父を亡くした身としては、こういった死は身近であり、最期の最後、お別れができない遺族の氣持ちを考えるとやるせなかった。
父が逝ったことで、わたし自身が経験してわかったこと。通夜告別式、荼毘にする過程。全て、亡くなった故人の為というより、それらの一連の儀式を通して、残された遺族がお別れをしているのだ。氣持ちの整理をしているにすぎない。お盆を迎えて、お墓の準備をして。それも含め遺族の為だ。
わたしが、そうだった。亡くなった遺体。それが骨として帰ってくる。自分の目で見て確認することの大切さ。それらを奪われた彼らが気の毒でならない。今は、コロナ禍だから仕方ないと思えるかもしれない。
だが残酷なことに、時間は平等ではない。わたしがクリアした悲しみが、母や妹が同じようにクリアしたとは限らないように、後々襲うかもしれない悲しみ、後悔。
やるせなさだけが残る。
仕方ないと割り切れるほど人間の感情は単純ではないということ。
誰がこの責任を取るのだろう。政府か。政治家か。結局人間が決めたにすぎないルールに人間が踊らされている。
最近フェスでルールを破ったとして、あるアーティストが叩かれているが、それも同様だ。
ルールってなんだろうね。果たして、守るべきものはそこなのだろうか。
死は決して避けられない。生まれ出た以上避けられない。だが、ただ物のように扱われていいのだろうかということ。もっと大事なことを見落としてきた日本人。
もういい加減、目を覚ませよと思う。目先のことに踊らされている場合ではないぞ。
読んでくれた方ありがとうございます。