時
あなたの時間と、
わたしの時間。
時間は一定でも平等でもない。
震災後、いろんな人のいろんなドラマを目にし耳にし感じてきた。
失ったことの大小ではなく、心の器の違いだったり、クリアになるには時が必要だ。
悩みや、日々外側から受ける事象に対処するには、そこ(外側)と自分(内側)とを切り離すことが重要に思う。
そこにかける時間が100人居れば100通りあり、その事象によって様々ということ。
わたし自身は悩むことはあるにせよ、真ん中に戻る瞬発力が人と違うと感じる。
わたしが良い、あなたが悪いという話では決して無い。
時は平等でも一定でもないということ。
だから…焦らず、待つ姿勢をいつも忘れたくない。
個人個人が持つ、自分という真ん中に戻る方法は、誰しも持っており、可能性はゼロではないでしょ。
答えを急がず、待つ。
決して決めつけない。他人であっても己自身であってもね。
(遊びがないとその余裕も生まれない。)
何度も何度も繰り返し己に聞き、出す、そしてまた聞く。他人の力を借りるにせよ、答えを出すのは己以外ない。
だから助言を求められた時にしか答えないのだ。わたしは、他人にあれこれ言うタイプではないし、今答えを出せないだけの彼、彼女に、それを急がせたくない。
単なる(時)の問題だと思うから。
異なる時間の流れ。
時間は概念なのだ。あなたには早く感じるかもしれないが、わたしにはそれはそれは遅く感じることもある。
焦らず、
あなたの時を味わえばいい。落ちるあなたを味わいつくした先に必ず何かが用意されている。
なぜ、こんな話をここに記そうと思ったか…。
父が逝って、もう泣くことも少なくなったように思う切なさも、ふとした瞬間またそこに戻るように、時は一定じゃないんだと腑に落ちたから…。
自分がそうなのだもの、他人の心の内などわからない。思いはかる優しさを常に持ち合わせたい、そんなことを思った夜です。
読んでくださった方ありがとうございます。