父の死から
そね、何から語ろうか…。
自分のことはどうしても分からないってこと。
父が逝ってからもうすぐ六ヶ月になる。
別に、押し殺してきたわけではないし、死がそこで全てを断ち切るものでは無いことは重々承知している。
震災の経験からか、いつ死んでもいいと生きてきた。それは決して後ろ向きではなく、「そうなっていたのだ」と受け入れるということ。抗ったところで、どんな事象も前触れもなく訪れる。だから…わたしは、あの時から抗うことをやめた。
背格好のよく似た人に、父を見たり、咲いていない菊の香りに父を感じたり、常に父はわたしと共に居た。
自分が笑っていないことに氣づいたのは、昨日だ。(昨日w)
コロナで騒がれて3年になる。この世の中のおかしさに氣づいて11年。そしてコロナの3年。
人並みに、家族を心配し、たとえ家族であっても止められないと知りつつも言葉尽くし、争ったこともある。
数ヶ月連絡を取らなかったり。
あるさ、人だもの。それでも家族だからと、また繋がった時、とても嬉しかったし、たとえどうなろうと、受け入れようと決めていた。
真実など今のわたしには分からない。全て、全てだ。わかる手立ても、無い。
だが、医者の話を兄と母と三人で聞いた時、あー、そうか、そうなのかと思ってしまった。と同時に、これはわたしの胸のうちに治めようと思った。言ったところで、この現実は変わらないし、残された家族の傷に塩を塗りたくはなかった。
亡くなってからのあれこれは、皆さんご存知かと思う。
そして、最近の報道。薬害訴訟の偏向報道。そこからの乳幼児への接種。
今まで、言わないことが良いことと思ってきた。
薬害訴訟が起きてきた事実を知りつつも打つ選択しかないという母を目の当たりにし、父の死に対するわたしの想いが溢れ出した。
このモヤモヤがなんなのか、分からなかった。
先に書いた通り、自分のことが一番分からない。
数日前数週間前から降りていた、(破壊)の文字。なんて己は小さいのだろうか。(力)とはなんぞ。
自分が怒っていることも氣がつかないほど、喉に刺さった棘がどんどん食い込んでいった。
これも外側だ、わたしの内なる感情にはなんら関係ない、そう、いい聞かせていた。
人間だから。なのだ。所詮人間。わたしは人をするためにここに来たのだ。この怒りも、わたしの大事な大事な感情の一つなのだ。
それを氣づかせてくれたのは、わたしの小さなSOSを拾ってくれた、大切な友人たちだ。
たかがSNS。されどSNS。Twitterで知り合って1年か。彼女たちは全国各地に散らばっている。物理的距離にあっても心は、今そこにあった。
わたしの怒りを肯定し、それでいいのだと言ってくれる。子どものように、堰を切って泣きじゃくるわたしに、彼女たちはとことん優しかった。
この半年、本氣で笑っていなかったことに氣づけたわたしは偉い。怒に氣づけたわたしは偉い。そして、こういった暗闇にいるわたしの状態を教えてくれたのも人で、救いあげるのも人であったということ。
昨日、一人で居てはいけない氣がしたSOSをそれを拾ってくれた彼女たちに感謝しかない。
この問いに、結局答えなど存在しない。
いくら真実を求めたところで、分かりようが無い。
何故を知らず知らずに追い求め、他人に言うこともなく、氣がつけば、自分を追い詰めていた。
それがわかった途端、父の声が聞こえた。
知ろうとしなくていい、と。みんながわたしに優しくしていたあの会話も父は聞いていたのかもしれないね。
なぜ、知ってしまったのだろう、なぜわたしなのだろう、知らなかったら、こんなに考えることもなかったのにと泣いたわたしに、楽になっていいと言っていたように思えた。
魂の目的、行き先なんてわたしには分からない。行ったことが無いのだから。
父が知ろうとしなくていいと言うのだ。きっと逝ったらわかるのだと思う。
…けれど、またやってしまう。わたしは人だから、やってしまう。それでもいいと傍に居てくれる人がいること。ありがたくて仕方ない。
読んでいただいた方、ありがとうございます。