直感
わたしは直感を外したことがない。
ああしてこうしてと考える暇を与えないほどだ。特に嫌だなと感じるのに時間はかからない。胸がざらつく直感は自己防衛反応と言えるだろう。
そんなわたしも直感に蓋をし、付き合いを続けた相手がいる。最近、ずっとその直感に忖度していた相手と遂に縁が切れた。3年ちょっと。子どもの学校の関係もあったから付き合いを続けてきたのだが、出会った頃からそのざらつきはあった。
だからね、あー間違えないなと改めて思ったのだよ。初対面の頃からの違和感は、何年経っても違和感でしかない。
わたしは基本、人にあれこれ言わない。あなたはこうだ、ああだ。決めつける行為にあたるそれをしないのは、人には人の事情があり、たかだか数時間、数ヶ月、数年の付き合いでわかるほど、人は偉くないし、偉くなりたいとも思っていないから。
7月末か、その相手に五時間、口撃を受けた。内容は多岐にわたるのだが、散々な言われよう。人格まで否定される始末。
その間なぜ言い返さなかったのか。言い返す機会もなかったのだがw(相手は最後まで人の話を聞かない。決めつける)
言葉は、どんな状況にせよ一番最初に耳にするのは己であり、100%自分に返る。
これは、そういう仕組みなのだから仕方ない。だから、口にすれば言い訳になるそれを決して口にしなかった。だから5時間も言われ続ける事態になったというわけw
人に意見したい人の特徴として、話し合えばわかると思っている訳ではなく、全て己に向けて発しているということ。
問題点は、他者にではなく己自身にしかない。これは以前からわかっていた事実である。わたしを通して口撃した全ては、彼女が彼女自身を投影したもの。相手は映し鏡とよく耳にしたが、そういうことだ。わたしの目の前に見えない鏡があって、彼女は彼女に向け発したにすぎない。
この件が悪いことと捉えていない。これでわたしの中の違和感ははっきりしたし、その直感の正しさも改めてわかったのだからね。
断捨離という言葉がある、物の断捨離、人の断捨離。わたしは空けよう空けようと思って整理する事はなく、結果空けたから、新しいものが入ってくる。
必要な物も人も、必要なら必ずといっていいほど、直前に整理されてきたからね。
わたしの中で、彼女の役割が終わり、彼女の中でわたしの役割が終了した。それだけのことだ。
面白いね、この世は。仕組みを知っていると、何も恐れることがない。
最近降りた言葉は、地に足つけよ、耳を澄ませ、シーっ。
何も起きていない。安心せよ、ということだ。
読んでくれた方、ありがとうございます。