若さ、ゆえ
わたしはできた人間ではない。
若い頃は今よりもっと自分勝手で
良い言葉を使えば自由奔放だった。
想像力と口では言うが、
そんな想像すらまともに出来ていたかどうかわからない。
東京へは、もう数え切れないほど行っている。
母に、娘のところへ行ってくると伝えたのはほんと思いつきで。
5分とかからない場所に住むわたしの家にさえ面倒だと出不精な母が、東京に住む叔父に会いたいと言ってきた。
母が76。その兄だ、ゆうに80は超えている。
これを逃したら、生きて言葉を交わすのもどんどん難しい。ふたつ返事でOKした。
叔父は、あの頃はみな貧しかった、そんな時代を生きたひとだ。戦争を知り、貧しさから諦めた学業、そして身ひとつ上京し家族を持ち、家を構えた。そんな話はずっと聞いていた。
だが、それも若さゆえ、想像の域を超えてはいなかったのだよ笑
わたしは、子ども(ガキ)だった。
福島へ幾度となく来てくれはしたが、恥ずかしながら叔父の家へ行ったのは初めてだった。
1度、もらい火で全焼し、建て直している。
その家を初めて目にし、歓迎してくれた叔父叔母いとこに挨拶をし、胸に込み上げるものがあった。
このひとたちの歴史が強烈にガツンと胸に届いた氣がした。
若い頃は、わからなかった。氣にもしなかったそれが、50にして初めて知る機会を得た。
なんて遅いんだと一瞬責めたが、仕方ない、それもタイミングである。
文字では伝わらないだろう。
戦争を知り、頼るあてもない上京後の叔父の苦労も、借金することなく細々と生きるを笑って話す叔母の苦労も、わたしはとても感動したのだ。
つかまり歩くその足も、曲がった腰も、しわくちゃな手も、すべて美しく思えたし、大切な生きた神さまをそこに感じた。
何者になろうとしなくていい。
何者であろうと、考えただろうか。
ただひたすら生きて生きて生きた顔は、わたしの中でひとつ目標になったのは間違いがない。
生きるとは、生まれたからであり、ただ一所懸命生きるにつきる。
派手さなどあってもなくてもいい。
ただ実直に、ひたむきに、
そんな姿を見せていただいたことは、今後わたしが生きていく、糧のひとつとなった。
母が行きたいと言ってくれなかったら実現しなかった。
母ともうひとり、おばちゃんと3人。
良き旅を、見せてくれてありがとうと言いたい。
そして、若さゆえ、知ろうとしなかった若い自分に「お前さー」と言いたい笑
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。