震災の後
(あの日とは別に)
静岡の被害を聞いて思い出した感情があったので記しておこうと思う。
今、あの日の時系列での投稿がストップしているのは、正直振り返る作業がキツくなってしまったからなのだ。
もうクリアした感情に戻る作業がなんともキツい。
いつかまた、投稿できる日が来るかもしれないが、今はできない。
だが、断片的に湧き上がってくる感情を整理し投稿したくなった。
静岡の水害を受け、行政の動きの鈍さ、マスコミの報道の少なさ、心が乱された。
行き場の無い怒りが湧いてきたり、
自分が感じ生きてきた過去を振り返ざるを得なかった。
わたしはたくさんの支援を受け今がある。
そこは常に忘れていない。いつか返そう返そうと生きてきたと思う。
思いやりにもいろいろある。
避難先の埼玉にいた時も、埼玉から職場のある福島県内に戻った時も、たくさんの方にお声かけいただいた。
多くが「大丈夫?何かあったら遠慮なく言ってね」
そして、「かわいそう」
だいぶ前にツイートしたことがあるが、このかわいそうってのには、やられた。
言っているご本人は全く自覚がないのだが、相当えぐられ、傷つける言葉だった。
わたしはかわいそう、なのか?娘は夫はかわいそう、なのか?
その時、わたしの中でシャットアウトした言葉の一つである。
幸も不幸も自分が決める。わたしは決してかわいそうなどでは無いとね。
その反発した心がその時は必要で、今のわたしを形どるきっかけの一つとなった。
前段の大丈夫?の言葉もそう。
被災した人(この時のわたし)は、そう聞かれれば大丈夫と答えるしか無かったし、遠慮なくなど言えやしなかった。
そんな時、当時わたしの職場に居た女性の上司は、「良かったら使って。家にあったものだから氣を使わないで」そう言って、どう見ても買ったであろう新品のドライヤーをくれた。
避難した際、何も持ち出すことができなかったわたしたちは、避難先のアパートでの生活を、段ボールをひっくり返したものをテーブル代わりにし、コンビニで買ったそばを三人で食べるところからスタートした。
皿一枚持っていなかった。そんなわたしに、彼女は家にあったものだから氣を使わずもらって欲しいと新品のドライヤーをくれたのだ。
何を言いたいのかって、なんでもそうだけれど、思いやりとは想像力だということ。
その人の悲しみを苦しみを全部わかるはずなど無い。だが、思いはかることはできる。
こんな偉そうに言うわたしも、自分が被災しなければ、先の大震災の苦しみ、新潟の震災、そして静岡の水害に思い馳せたかわからない。自分がその身になり、痛感したのだから。
その上司の優しさは今もわたしを歩かせてくれる。いつか返せる時がきたら、彼女のようになろう、そう思って生きてきたのだからね。
それぞれ生きる環境、考え方違って当然。
だから人がどうこうでは無い。
こういった災害が起きた時、自分が何ができるか。
災害が無くても、自分がどう歩いて生きたいのか常に己に問い続けている。
思いやりは、想像力。わたしはそう思います。
読んでくださった方、
ありがとうございました。