311〜Vol.12
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郵便局に再度出向く。保証人があれば20万円まで払い戻しできるという。一切迷惑はかけないと約束し、叔父が保証人になってくれた。現金確保。
妹たちがこちらに来る!!!横浜の叔母宅へ向かう途中、ガソリンが心配だから埼玉で一晩お世話になりたいとの事。叔母に話すと快く了承してくれた。ありがとうございます。埼玉の叔父叔母には今でも感謝している。
準備をしよう。とりあえず今、妹たちに必要なものを買い揃えよう。ちょうど現金が手に入っていたのが良かった。
一才の姪のおむつや洋服。みんなの寝巻き、下着、タオル、替えの洋服、その他諸々。
娘にみんなが来ることを伝えると、嬉しさで顔がぐちゃぐちゃになった。会える!
この頃になると高速が使えるようになっていたらしく、予想より早い。大きな道路まで娘と一緒に迎えに出る。(母はこの時を忘れられないと今でも言う)
車内はあるもの全て詰め込んだようにぐちゃぐちゃ…。混乱の中、ここまで来てくれたことが分かった。14日に3号機が水素爆発してからの福島の混乱はさらに増していたらしい。短時間で身の振り方、決断を迫られたのはわたしたち家族だけではない。数年後に聞いた妹家族の葛藤。兄の置かれた悲惨な状況。老いも若きも、あそこにいた人たち全員だ。それは時々フラッシュバックというPTSDで心を傷つける場合も少なくない。
到着を喜ぶものの、ガソリンが無い。埼玉にも入ってこないのだ。従兄弟の旦那さんから会社からガソリンが手に入ったむね連絡あり、好意で分けてもらえることになった。何から何までありがとうございます…。これで横浜まで行けます。
皆を風呂に入れ、ご飯をいただき、久々に一緒に眠った。ちゃんとした布団で皆で寝た。このまま時が止まってくれればいいのに…。
翌日、妹にお金を渡した。今のわたしにできる精一杯。状況が異常とはいえ、両親を妹夫婦に押し付ける形になったことを詫びた。母に貰えないと泣かれたが、それしかできることが無い…。
いろんなものを奪われ、日々決断に迫られていた。
当然、国、東電が許せなかった。
わたしたちの今までを、これから先を未来を奪ったのだから。
(当時のわたしの胸の内です。今の心境とは異なります。)
耳鳴りが続いている。
明日は、皆、横浜へ。
また、別れだ。
続