311〜Vol.19
夫の勤務先からやっと連絡が入る。震災後2週間弱。本社に来いという。本社…。東京。嫌な予感。わたしが最寄駅まで送ることに。
不慣れな道、不安な氣持ち、縁石に乗り上げホイールを擦ってしまう。何となく考え事しながら運転していたから…。また泣けてきた。夫に「氣をつけて。焦らないでゆっくり戻りな」そう言われ、泣きながら戻った。
最悪な日だ。
何故なら、このホイールの件だけでなく、夫が解雇通知を受けたからだ。
しかも、3月12日付け。12日に遡っての解雇。電話の彼は、笑っているような、でも泣いているような、なんとか精神を保とうとしているのがわかった。
最低な会社である。ここで社名は出さないが、一生忘れない。町外へ出されたあの日に遡っての解雇。全国散り散りになった社員(パート含む)を東京の本社に呼び付け、解雇した。
会社に集まった、福島にいたメンバーは、当然綺麗なスーツ姿なわけがない。皆、体に合っていないようなボロボロの服・靴、通常ならこの格好で本社へ来るなどあり得ない格好だ。そんな余裕もない状態の彼らを集め全員解雇通告した会社だ。
帰ってきた夫は、「遅かれ早かれだろ。わかって良かったんだよ。こんな会社クソ喰らえだ」と笑った。
(夫だけじゃ無い。当時、解雇は当たり前にあった。農業林業水産業、糧を奪われた。)
妹に解雇されたことをメールで伝えた。それを聞いた母は声を上げて泣いたらしい。わたしたち夫婦としたらこっちから願い下げと思っていたが、娘夫婦が家を建てたばかりで原発事故により避難し、家を追い出された挙句、勤務先を解雇されたとあれば、泣くか…と母に申し訳なく思った。
この日初めて、東電へ電話を入れる。(今思えばかなり怒りに震えていたと思う)その対応に呆れた。申し訳ありませんの一言もないのだ。あの東電社員の態度こそ、この会社の本質だと思った。
続