311〜Vol.28
夫と次の避難先を探し始めた。まず家賃の負担が少ない県営住宅をあたった。一次募集が締め切られており、二次募集がいつになるか分からないとのこと。インターネット等での告知でチェックしてくれと言われたが避難中なのだ…ネットの環境など、無い…。
4月末頃あるかもしれないから、また問い合わせてくれと言われた。
4月末…待てない。夫もわたしも焦り始めていた。もう少し早く動き出せば良かったのか。
父と姪の容体が思わしくなかった。でも簡単に駆けつけることさえ不可能だった。悔しかった。
後で聞いたが妹も母もかなり追い詰められていたらしい。高熱のまま5階から病院へ連れて行くのは、姪はともかく、父を抱え降りなければならない。
上も下も吐き通しの父を姪を抱いた妹と母が支えて降りる。義弟は地元に戻り仕事をこなす日々。バラバラだった。
(今思えば救急車を呼べば良かったのだろうが、周囲に氣を使っていたため目立つことを異常に嫌っていた。)
その場にわたしも兄も居ない。申し訳なくて、申し訳なくて今でも悔しさと申し訳なさで涙が出てくる。どんなに苦労したことだろう。
わたしもずっと咳が止まらない。娘は幸い回復した。わたしが悪化してしまった。
埼玉の叔母に町田行ったり会津行ったりするからだよと嫌味を言われてしまった。
また病院へ行く。気管支炎らしい。強い薬を出してもらった。これで夜眠れるといいのだけれど…。ただでさえ不眠状態が続いているのに、咳が加わり体力が無くなっていた。
昼間叔母の家で寝るわけにもいかず、夫に車を出してもらい、車の中で仮眠した。
行くあてなど無いもの、叔母の家から離れたコンビニの駐車場で眠った。その時、夫がポロッと本音を漏らす。死んだ方が楽かな…。ここで彼は初めて弱音を吐いたかもしれない。
411福島で最大余震があった。東日本大震災から1ヶ月だった。亡くなった方もいたらしい。
もう十分東北、福島の人たちは苦しんだ。
神様勘弁してください。お願いします。
そう思わずにはいられなかった。
続