あの日

311〜Vol.29

いよいよ我がまちが警戒区域となり、入れなくなる日も近いと耳にする。

絶望的だった。警戒区域ってなに?入れなくなるってなに?え?もう2度と??…。

警戒区域だのメルトダウンだのテレビで聞こえ出した。県外の人たちからそのワードが出るたび吐き気がした。

故郷を追われた人にしか分からない苦しみ。母や妹たちに今すぐに会いたいと思った。このことを知ってどんなに心痛めているだろう。

テレビに映る、猪苗代湖ズの歌を聴くたび、胸締め付けられ涙が溢れた…。

帰りたい。こんなに帰りたいのに、故郷はとてもとても遠かった。

妹からメール。父と姪が回復に、向かっているとのこと。安堵した。

翌日、妹から電話。娘は学校に行っていた。町に入れなくなるよ、来週らしい。行けるなら行って荷物とってきたら?○○ちゃん(妹の夫)も向かったと。

夫に相談した。叔母は相変わらず怪訝そうだったが、わたしたちの財産の一部でも取りに行きたい、そう思うのは当たり前だと送り出してくれた。娘には福島に行ったとなると騒ぐだろうから適当に話しておくから黙って行くように言われた。

すぐに出発した。帰りも何時になるか分からない。それより何より放射能がどれだけ降り注いでいるか、とても緊張した。

411に最大余震を受けていた福島は高速道路が茨城から通行止めになっていたり、福島にやっと入っても道路はめちゃめちゃだった。いわき市内のワークマンで、簡易の防護服を購入し準備した。浜沿いを走るのもあの日以来久しぶりだった。

見慣れた景色が近づいてきたが、自分の記憶にあるそれとは全く違っていた。○○(地名)も○○もかなり津波でやられたんだね…。たくさんの命が震災によって奪われてしまった。

手前の町に入り防護服を着用し、準備した。町の境までくると検問があり、この町の住民で荷物を取りに来たと言うと通してくれると聞いていたのでその様にした。

警察車両と警官が数人。なるべく早く出てください。そう言われた。緊張した。警官にではなく、見えない放射能に対して恐怖で心臓が痛くなった。見慣れた町に入るとまだ一ヶ月しか経っていないこともあり、何も変わっていないように思えた。ただ…やたら静かで不気味だった。鳥の声さえしない。

一時間だ。一時間しかないぞ。夫が叫んだ。

一ヶ月…まさか帰れなくなるとは思っていなかった。夫とわたし、そして娘と楽しんで作った我が家だ。娘が外壁を決めた黄色い小さな我が家。屋根は茶色のその家を、娘は「プリンの家」と愛情込めて呼んだ。ここから出たくないな…そう思った。

娘のおもちゃ・本。持っていけるものは全て持っていきたかった。だがワゴン車に入る量は決まっている。あっという間だった。その日はまだ4月だというのに夏日で、ナイロンの簡易防護服は拷問だった。

そして積み終わると、洗車し、いわき市の指定された場所でスクリーニング検査を受けた。念のためだ。

緊張で吐き気がし、心臓が痛かった。被曝の問題はないと言われても、国も東電も信用できなかった。

応援に来ているだけであろう他の電力会社の社員だろうが、文句も言いたくなった。

夜遅く埼玉に到着した。途中妹からメール。一応スクリーニング検査で異常は無かったと説明し、すぐに風呂に入りますからと断る様にと…。関東の人間は福島の人間をバイ菌や病原菌だと思っているからと…。

(実際そのような差別は当初からあった。放射能がうつる。なんの根拠も無いまま、長い間差別に晒されてきた事実。わたしが自分の故郷も訛りも封印した10年とはそういうことだ。)

スクリーニング自体、本当に大丈夫なのかわたしたち自身疑っていたが、そんな事まで言われなきゃならないとは、誰にぶつければいいのか分からなかった。

わたしたちが何を考えどんな人間かは全く関係ないのだから、人間が人間を差別することの怖さ愚かさを思い知る。

娘はわたしたちが帰るまで寝ないと言って起きていた。どうやら叔母と従姉妹に怒られたらしい。

避難先の家では娘が好きなだけ好きなタイミングで何か飲んだり食べたりできるはずもなく、子どもなのに氣をつかって可哀想だったので、わたしたちの部屋にこっそりお菓子を置いていたのだ。それを食べていたのが見つかり怒られたらしい。

卑しい。そんなコソコソと。食べるならリビングで欲しいって言えばいいじゃない…。その場は叔母に謝ったわたしたちだが、そうしなければならない事情があったわけで、大人2人で7歳の子どもを叱りつけたことに、腹が立ち、悲しかった。

それもこれもわたし達がここにいるから悪いのだ。娘に早く出るようにするからもう少し我慢してねと、一人にしたことも謝り抱きしめた。娘はわんわん泣いた。

当時大事にしていたぬいぐるみを持って帰ったのが幸いだった。娘はその晩それを抱きしめて眠った。

投稿者

mie.208.1119@gmail.com
はじめまして、みーです Twitterで言葉を吐露し出してからたくさんの出会いがあり、今ここ、ブログに辿り着きました 日々に感謝 出逢いに感謝 https://twitter/208Mie 言葉は言霊 一つでも拾ってくれたら嬉しいです

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死について

2022年8月16日