望む世界
わたしは感情に素直だと自分でも思う。
人から外部から与えられる状況に、割と敏感な方だ。
穏やかだと勘違いされる方もいるが、思いっきり喜びも悲しみも怒りも、全身で感じ、表現する。
Twitterのスペース機能が出来てから、声に関する違和感、またはその逆を自分が察知する能力に長けていることに、わたし自身が氣付いたw
肌で感じる直感だけで生きてきたし、まー外さん。
この状況がざらつくと感じれば、躊躇せず距離を置く。
否定をしない、それが前提で人に関わってきた。その人その人には事情があるから。
最低限のルールで接し、距離を保つ。
だから、友だちと呼べる人はあまりいなかった。あまり?いなかったw
本音で語っても、変わり者と言われたからね。
うっかり本音なんて語ったらえらい事になったがらねw
本音で語れる人など、この世にいないべと思って生きてきたよ。
それで困らなかったしね。
また、別に話そうと思っているが、孤独を愛し、孤独がないと消えたくなる性分ですからw
(今は、たくさんの仲間に囲まれています。たかがTwitterされどTwitter。ありがたい)
わたしが感情をむき出しにする時、喜びだけでなく、怒りも当然ある。
わたしが怒る時、その人のパーソナルスペースに土足でずかずか上がり込まれた時、それから簡単に他者を否定するのを感じた時かもしれない。
わたしは、皆、それぞれの考えでいいべと思っているがらよw
みんな違ってみんな良い、ではなく、みんな違って当たり前だのクラッカーなんだよなw
今回はとりとめのない話になっているが、わたしが欲しい世界は、横に並び、笑って笑って笑い合う世界。
既にそれは叶っている…。さいっこうの仲間に出会えたからね。
それを、もっともっと感じたい、人は、ものは、必要なものはきっと、ちゃんと用意されるから。
福島のど田舎の、この時間(21時半)なーんの音もしない自宅から、もしかしたら大きな波となって、何か生まれるのかもしれない。なんて思っている。
混ざりたいなら、ここだべよw
何もかんも、まるっと連れてくべ。これも一貫してずっと言っている。
共に参るべ。