311〜Vol.16
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毎日テレビにかじりついているが、必要な情報が全く入ってこない。町はどうなるのか、いつ帰れるのか。
建てたばかりの家の返済も心配だ。夫の職場から連絡が途絶えた。
テレビでは町全体で埼玉県に避難した自治体ばかりが注目されていた。避難所になったさいたまスーパーアリーナはたくさんの支援物資で溢れかえっていて、避難格差と呼ばれるものが出来つつあった。被災者だろうがそうでなかろうが何でも持っていける状況、テレビには山積みのカップラーメン、紙オムツ。各地に散らばった避難所には思うように物資が行き渡らないという。実際、福島県内の避難所には福島というだけで嫌煙され、物資が全く入らない、陸の孤島となったと聞いていた。兄がいる会津の避難所も物は十分では無かった。会津に行くという知人にマフラーを託したいが、町には春物しか売っておらず、手に入らない。なぜ、困っている人に必要なものが届かないのか、ジレンマだった。
妹から電話がくる。とてもすぐには帰れない状況だ…。住むところを探さないと。母が、わたしたちと一緒にいたいと言う。だが、夫の職場からの連絡も無く、叔母から「あんたたちの生活も再建できていないのに、お母さんたちもなんてとても無理でしょ!」と言われてしまった。父母と妹家族と一緒にいたいと思うことの何が悪いのか、せめて、近くにと思って何がいけないのか…。思ったけれど、言い返せない。
「岩手(夫の実家)でやり直したら?」
「埼玉の契約社員の仕事紹介しようか」
「どうせ帰れないんだし」
待ってくれ、あの日から、今日で何日だ…。耳を疑う。福島を捨てたわけではない、あそこにわたしの、わたしたちの全てがあり、簡単にやり直せるほど時も経過していない。こんな形で奪われたのに、整理がつけられる人間がいるのだろうか。混乱した。
わたしはまだ諦めてなどいない。
仕方ない、全て飲み込んだ、世話になっている以上、飲み込んだ。
この身が、恨めしかった。
続