311〜Vol.17
クレジットカードを自宅に置いてきたことを思い出し、電話で解約。焦った。使われた形跡は無いとのことで安心。娘の学習教材も解約。
また耳鳴り。はー…。
この町にいると、つい新築の家に目がいってしまう。それも自宅に似た外観の家を見つけると悲しい氣持ちがした。夫には話していないが、夫はどう思っているのだろう。
横浜の叔母の母への仕打ちが酷くなっていると、妹から連絡が入るようになった。食事のこと、入浴のこと。到着したその日から状況は悪いという。涙が出た。悔しい。そんな状況なのに、迎えに行ってあげられない。兄に言うなと言われたけど、堪えきれずメールした。
毎日、涙が出る。母に会いたい。みんなで暮らしたい。妹からも、皆で住める場所を探そうと連絡がくる。
すぐにでもそうしたかった。でも一旦、他人に世話になってしまうと、自分たちだけの意思で何かを決めることが容易では無いことを痛感する。何かしようとすると、「あんたたちの生活も再建出来ていないのに」「甘い、みんななんて無理。あんたたちもままならないのに」と叔母に言われるのだもの。
わたしは震災前よくコンビニのカフェオレを飲んでいたのだが、好きな時に買い、飲むその行為が出来なくなっていたのもこの頃。162円のカフェオレを買うお金がないのではなく、買ってはいけない、そう思っていた。お世話になっているのだから、贅沢をしてはいけないって。贅沢は敵。戦時中かよ…。
同じ町に住む人が、隣の市に避難しているとニュースで目にした。知っている人だったら…。夫に相談する。会いに行ってみたい。ここも、叔母にお伺いを立てる。もし、知らない人であっても同じ町出身の方に会いたかった。場所を探して、行ってみた。知らない人だったが、娘の同級生の親だった。買ったばかりの水一箱を、避難所では不便だろうと、置いてきた。その人は、東電社員だった。夫に正直に申し出てくれた。夫は、普段と変わらず対応していた。「罪を憎んで、人を憎まず」彼が、そう言った。
わたしは、正直東電の社員にそこまでしなくても良かったかな、と思ったが、結果、良き事をしたように思う。赤ちゃんもいたし、わたしたち家族より大変な状況だ。辛い時ほど助け合い、施しを。そんなことを思った。(のちに、夫はこの人と再会することになるのだが、もちろんあちらは覚えていて、改めてお礼を言ってくれたという。とても感謝された。見ず知らずの相手を探して会いにきてくれて、あの時貴重な水を一箱あげたのだからね。良き行動をして良かったと改めて思った出逢いだ。)
ここで、ふと簡易保険証券が頭に浮かんだ。あー、こっちもか…。毎日毎日、頭が混乱する。郵貯に連絡。悪用されかねないものだということで、必要な手続きをとってもらった。
次から次へと、事務的なことにも振り回される。
仕方ない、鍵を壊し、ガラスを割り、窃盗の話はずっと聞いていた。(先輩の家は震災後3度やられている。新築2年だ。)
実家も含め家族全員の再建の話が前に進まず、なんともやるせない。
続