311〜Vol.24
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新学期が始まればなかなか行けないと理由をつけ、町田へ車で向かった。久々にみんなに会える。朝から興奮した。何を持って行こう。姪はどうリアクションとるかな。ワクワクした。姪へお土産を買った。
だが、相当遠かった…。不慣れな都会の道。地理的に全くわかっていなかったが、夫は文句一つ言わず運転してくれた。
親に会いに行くのにこんな思いをしないと行けないのか…。毎回というわけにはいかないだろうし…。不安がまた生まれた。
皆にやっと会えた。久しぶりだ。まだ来たばかりで何も揃っていない。だが、自由になれた喜びで皆嬉しそうだった。姪は娘を見つけると大喜び。娘も声を出して笑う。
わたしたちの為にピザをとってくれた。新生活とはいえ、当然生活必需品なんてほとんど無い。段ボールをひっくり返したものに、シーツをかけてテーブルにした。日帰りの予定だったが離れ難く、そのまま泊まることにした。
夫が連絡をする。埼玉の叔母は面白くなかったと思う。
高層住宅にいる両親の心労を思った。福島で広々した家があるのに、こんな狭いカビくさい住宅にみんな…。いつ帰れるだろう。いつまた一緒に暮らせるだろう。また、みんなで泣いた…。
4日にみんなで会津へ兄に会いに行こうという話になった。会津に一人、踏ん張る兄に、会いに行こう。みんなの顔を見せたら元氣になるかもしれない。あの日から会えずにいた兄に会えると思うと嬉しかった。
皆で和やかに時間を過ごしていた中、夫に一本の電話が鳴った。
埼玉に住むもう一人の叔父(叔母の実弟)からだ。
なに?なんだったの?夫に聞くが言わない。夫の目が赤い。しつこく聞くと、怒鳴られたという。
何故?何故私たちが埼玉の叔父に怒られ責められなければならないの?
叔父にとっては、姉の家に居座り続けるわたしたちが氣に入らないようだった。そして勝手に紹介してきた仕事を断った。そのことも。
夫は、何も持たないわたしたちが仕事を始めて、いざ福島に帰るとなった時、また世話になった叔父に迷惑がかかるのを懸念していた。だったら、自分で見つけた仕事で、辞めるとなっても自分で始末はつけられるとね。
それもこれも、福島に帰ることを諦めていないわたしたちと、県外の安全な場所に住み続けていられた人との温度差があったように思う。
何より、腹が立ったのは、教職者である叔父が「いつまでそこにいるつもりなのか。子どもなんて何とでもなるんだよ」と言われたことだ。
わたしたちは、笑わなかった娘が避難先の家の子どもたちに触れ、徐々に笑顔を取り戻し、その子どもたちと一緒の学校に通えば元の娘に戻ってくれるかもしれない。そう思っていたからね。
何もしてくれなかった叔父だ。これは別にこの先も言うつもりなどないが、あの日以降、何もしてくれなかった。なのに、怒鳴りつける電話をしてきた。
夫を怒鳴ったことは、夫だけでなくわたしへの侮辱だった。
この後、もう一人の千葉にいる叔父夫婦にも同様な扱いをされる。(直に)
続