311〜Vol.26
避難先の○○町役場の保健指導職員から、面談がしたいとの連絡が入る。健康状態がききたいとのこと。明日会う約束をする。
健康かと聞かれても健康なわけがなかった。昨夜からわたしと娘は咳き込んでいた。
叔母に嫌味を言われた。あちこち出かけるからよ、と。
病院を聞いて行ってきた。ジロジロ見られる。根掘り葉掘り聞かれる。どこどこから避難してきました。説明するのもうんざりしていた。
携帯を昼夜問わず見ているせいか、視力も落ちていると感じた。だが、携帯しか情報源がないし、家族友人との唯一の繋がりだった。
熱はあまり高くなかったが、夜になると咳が出て止まらない。抗生剤が処方された。今までの経緯。薬局でも同じ話。…疲れた。
帰宅してからの空気も重かった。叔母からしたら面白くないのだろうね。思うようにじっとしないわたしたちに苛ついていたと思う。
翌日、保健指導職員との面談。指定された保健センターへ3人で向かう。避難状況と今の健康状態。娘の予防接種のことを聞かれた。母子手帳は?
持ってきていない。思わず笑ってしまった。母子手帳を持ち出す暇があれば別のものを持ってきただろうからね。今後のことを考えると、何を打って打たないのか、わたしの記憶にかかっていた。
ここでも思い知らされた。わたしたちがいかに何も持っていないかということ。持っていたものでさえ、持っていない。小さいことかもしれないが、母子手帳すら持ち出せなかったということだ。
ずっと、耳鳴りが続いていた為、念のため相談してみた。耳鼻科を紹介されただけだった。
娘の新学期の準備も並行した。雑巾を縫わないと。縫うにも糸も針もないので借りた。元になるタオルも貰った。ジャージにゼッケンを貼るのに、アイロンも借りる。
この地味な、お借りしますっていうのがストレスだった。自分の洋服もアイロンをかけたかったが我慢した。
妹から、父と姪の具合がよくないと連絡が入った。なんでよ…なんで…。すぐに駆けつけてお世話したかった。
それは、とても無理な話だった。
何をするにも人の目がある。叔母だけでない。親戚も。そして、珍しい車のナンバーはとても目立ち、ジロジロ見られた。(被害妄想かもしれないが、避難者の中には、実際車を傷つけられたケースも多く、警戒はしていたと思う。)
娘が新しい学校に行き始めるのは、もうすぐだ。
続