執着
自分すら執着しないって思う。生きることにとか、死にたいとかそんなことではない。
いつか還ることは揺らがない事実であり、自分がどこに身を置いても虚ろって行くのも事実。
一つとして同じ雲がないように、同じ自分もいない。
いつか溶け合うまでの、わたしというフィルターを通して見る世界。
体感を約束してきたバーチャルゲーム。
それが無気力だとは限らない。常に、生きていることに喜びを感じるし、ここに来たことを感謝している。
髪を綺麗にして貰ったり、大好きなコンビニのカフェオレを躊躇せず買え飲む幸せ。
そこに行き着くまで何度も落ちに落ちた。それでもわたしは、他人のせいにしなかった様に思う。他人のせいにする術も持たなかったしね。
還ることも、今ここに生きていることも同じように尊い。
見た事もない景色が見れるのは、どちらもその可能性を常に保有しているから。
わたしの中にしかないそれが、時として言葉で身体中を巡る。
あなたは考えたがりだからと揶揄された時も、嫌味に腹立てるより、あーそうかもwと思った。
考えたがり…。ここに生まれ出た理由も、使命なんてものも、とうの昔に追うことをやめた。
わたしの中にあるのは、虚って行く時間という概念。過去はいかようにも塗り替えることができるのだから追いかけることに意味はない。その時感じた感情さえ、今は本当かどうかすら怪しい。
抽象的な言葉の羅列。わたしはわたしであってわたしでない。ここではないどこかで見てる感覚。
だから、執着する意味がないと、持論だがね。
外的要因も、一時的な感情は生まれるが、結局のところちゃんと真ん中のわたしに戻ってくれる。
一時の感情の整理をこの文章を書くことが役に立っている。わたしの場合この方法がしっくりくる。
何を見ても面白い。空、風、人の思い。今ここに一所懸命である人の中にわたしも含まれる。
わたしを通してみるわたしの世界も、人が変わればまた見える景色は違うのだから面白い以外あるかw
1週間ほど前にある人に、言いたい放題言われた。いっとき、言い返せなかった自分が情けなく感じたし、あそこまで言われた意味を考えた。
だが、わからないものはわからないw
彼女はわたしではないのだから、わからなくて当然だと結論を出した。
誰になんと言われようがわたしの選択は正解であり、他者に介入させない。
あなたの為だよという言葉には本当にわたしを思うことなど、もしかしたら無いということ。
そこで一つ執着を断ち切れというサイン。自分の中の違和感を今度は見過ごさなかった。
わたしはここで執着を断ち切ったが、彼女はどうだろう。今もLINEがくるが、見ていない。
ありがとうさようなら愛しているよで切った縁が再び繋がるのは天に任せた。
どんどん身軽になっていくのを感じる。
もしかしたらそのうち飛べるとさえ思っている。
読んでくれた方ありがとうございます。