一時帰宅、ビーグル犬
震災の話は別のタイトルでずっと綴っているので、かぶることもあるだろうが、ふと思い出したので紡いでおこうと思う。
一時帰宅という聞きなれない言葉。その家はわたしの家なのに自由に入ることさえ出来ない。
いついつ帰宅ができますよと町からお知らせがくる。期間中、帰宅できる日にちに時間人数を申し込む。
隣町の町営体育館が指定されており、当日そこに行き、受付する。
ひとりひとり防護服と線量計。一人一枚30ℓ程度のナイロン袋を渡され、説明を受ける。防護服を見たことがあっても着たことのある人はそうそういないだろう。
頭の先からつま先まで全て覆う。マスク着用。当然被曝のリスクもあるため、短時間で済ませるよう指示がある。
ナイロン袋は、持ち出しの袋であり、飲食物は持ち出せず、ここに入る分だけと決められている。
一時帰宅と時間が何時から何時までと記載された紙を渡され、車のダッシュボードにそれを置く。町の入り口付近に車で到着すると、バリケードと警察車両が横付けされており、警備が厳重にされている。
ダッシュボードのその紙を確認した警官が中に入れてくれる仕組み。町から戻る際は、必ず最初の体育館に戻り、スクリーニング検査を受ける。被曝していないかの検査。当然15歳までの子どもは帰宅を許されていない。
何度かこの手順を追って帰宅した。
いつの一時帰宅か思い出せないが、暑い日だった様に思う。夫と二人我が家に帰宅し、娘が喜びそうなものを手に帰宅しようとした際、一匹のビーグル犬が寄ってきた。(この子がまだ生きていたということは、初めの頃の一時帰宅かもしれない…)
ビーグル犬だ。当然飼われていたに違いないその子を、わたしは忘れたことがない。
連れて行ってもらえると寄ってきてくれたろうに、それが…許される状況ではなかった。今でも、申し訳なくて申し訳なくて涙が出てくる。なんて人間は身勝手でひどいことをこの子たちにしたのだろう。
この子の飼い主が悪いわけではない。わたし同様、どうしようもなかったに違いない。着のみ着のまま町から放り出されたあの日、この子が残る家に戻る余裕などあるはずが無かっただろう。
お腹を空かせ、人間に触れられることに飢えていたであろうこの子にわたしは何もしてあげられなかった。
この子の飼い主とわたしは同罪だと思って生きてきた。だから動物を飼うということにとても拒絶反応があったのだが、今、我が家にはあられというヌコがいる。
たとえ一匹でもお姉のそばにいて幸せにしてあげたら、あの時のビーグルのあの子も喜ぶと思うよと妹に言われたのがきっかけだ。
何年も経って、スペースで一度この話をしたことがある。
そして、ある人に聞いたら、この子はこれがきっかけでお空に還ってしまったけれど、
みーさんが僕をそんな風に想ってくれて嬉しいよと言っていると聞いて、号泣した。
ごめんねごめんねと号泣した。彼は今、お空で元の飼い主さんがくるのを待っているのだという。それが嘘でも真でも、わたしは救われたし、嬉しかったのだ。
もうすぐお盆だから、言葉に残したくなりました。読んでくれてありがとうございます。