「311」と「すずめ」
夫(神)とは常日頃いろんな話をする。
震災についても、我々にとっては日常であり、抜きにはもう何も語れない。価値観。倫理。いろんな意味でぶっ壊された出来事だ。
『すずめの戸締まり』は、夫(神)が観に行こうと誘ってきた。
この映画については、いろんな方がいろんな考察と発信をしており、311を割とリアルに描写するシーンもあって、観るには注意が必要だと感じていた。
我々は、常に暗くネガティブに日々を過ごしているはずもなく、笑ったり喜んだり怒ったり悲しんだりをしながら11年を生きてきた。なので、決して後ろ向きでは無い。
だが(終わった)わけでは、無いのだ。
夫(神)は、上映後、しばらく動けなかった。
わたしは、いつも上空から俯瞰する癖がある。この映画で確認したい事(笑)があったので、夫ほど素直な目線で観ていなかったように思う。
夫は、素直に、簡単に言うと、くらった。
話はいきなり飛ぶが、
数年前、喉の手術をし、予定としていた帰還を一年早めた。
声を失うかもしれないといった状況に、一番の望みを考えたら、簡単だった。
故郷への帰還。
それを快く承諾してくれた家族。
なぜ、ここまで帰還という選択に拘ったのか。帰らない選択も10年の中で出来たはずなのに、わたしは故郷へ帰ることに強く、拘ったというより…この場所に引っ張られたように思う。
帰還し、しばらくしてから夢に現れたアメとつく男神さん。「ヨウモドッテキタ」と言う声。
まどろみの中に何度となく見せるイメージと、「声ではない、が、その声」
抽象的な話ですまない。
ただ、そこから降り続けている何かを記したかった。
ここで、すずめに戻る。新海誠さんが何を考え、どのタイミングでこれを作成しようと思ったのか、知るよしも無いし、正直ここまで興味も無かった。わたしは流行りに乗るタイプではないし、天気の子すら、ついこないだアマプラで観たばかりだ。
だが、この映画が公開されるはるか前に、自分に降りた二つのワード。
「サンカイノチノオミヤマイリ」「ヨウキタナ」
当然意味もわからず、当時Twitterで助言を求めたりした。笑
311から生まれたこの世の違和感。鹿島神宮の鳥居が311で崩壊した事実。
そこから、艮の金神さんに(サンカイノチ)に繋がった。
そして、行かねばなんねを数ヶ月も先延ばして、ついこないだ鹿島神宮と塩竈神社に行ってきたばかり。
そこからの、この映画だ。
まだ、体感の答え合わせの最中。というか、その答え合わせがいよいよ始まった感なんだよ。
わたしは、寝ている間にどこに行って、何を目にし、見えない目には見えないそれは、わたしに何を言いたいのか。
そのヒントをもらいたくて、すずめの戸締まりを観に行きました。
興奮状態のこの文章も、わたしの自己満足で記しています。笑
不快な方がいたらごめんなさい。
体感からわかることしか信用しないたちなんで。笑
ワクワクするね。どう感じるのか、毎日自分に起きる全てが面白くて仕方ない、みーでした。
読んでくださった方、ありがとうございました。