戦争と平和
久々のブログ更新がよくあるタイトルになってしまった・・・。
今日、兄の講演があり出かけてきた。
兄は幼い頃から歴史というものに興味があり、当時経験がある方々の証言を数多く記録している。
それを元に、決して公とされないオーラルヒストリー(いわゆる口述の歴史)を題材とした講演だった。
我がまちは、東北の太平洋側に面した場所にある。
東北の片田舎であっても先の大戦は暗い影を落としている。
町の地名、⚪︎⚪︎の誰々さん、証言者の名前と当時いた場所の地名は、一氣にリアルさを増す。
先人が生きてきた中で、数えきれないほど奪い合い、殺し合い、そこから免れた土地など無いだろう。
戊辰戦争、我が町にもその記録は残っている。『死』が常に身近にあり、若者という若者は徴収され相馬郡に連れて行かれ、そして帰ってこなかったと。
そして、公式には太平洋戦争。当時は大東亜戦争と言っていた。その話に移る。
わたしが子どもの頃は、経験者の方の多くがご存命だった。
肉声も残されており、何人かの肉声も聞かせていただいた。歴史書には載らない、リアルな状況と人の想い。
多くの若者は戦争にとられ命を落としている。
かろうじて生き残り復員した方の貴重な話。リアルな戦況が日記に残されていた。
資料館に載るわけでもなく、大切に遺族の元に保管されてきた、特攻で散った妹を想う兄の手紙。搭乗するその際で殴り書くように父母へしたためた遺書。
特攻前夜、帰ることを許された義弟の様子を忘れることが出来ない、ある方の話。
夜中、仏壇の前で真っ暗な中、宙を、何を見つめていたのか微動だにせず睨め付けていたと。
眠れないのだろうか、なんて恐ろしい顔をしているのだろう、その人はそう思ったという。
その瞬間、彼は腰に刺していた短刀を抜き、仏間の畳にまっすぐブッ刺した。
その日の朝早く、一度も振り返ることなく出発していった。
当時、明日搭乗することを家族であっても伝えてはいけなかったそうだ。
彼が何を想い、何を見つめ、何を感じいったのかは知る術が無いが、想像が駆け巡った。
これらの証言の一つ一つが、わたしのわたしたちの身近にあり、それらを超えた先に今の我々がある。
玉音放送の二時間前、早朝に起きた空襲により妊婦が一人犠牲になっている。
どうして、皆、そこで死ななければならなかったの、か。
いろんな意見あるだろう、それはこうでね?などと憶測が飛び交うこの世の中で、そんな話をしたいわけではない。
何が思考を止めさせ、何が奪うことを許し、何が奪われることに麻痺していったのか。
平和であり続けようとする思考という名の努力を、人間はいつ止めたのだろう。
そんなことを思って聞いていたら、締めくくり、兄も同様なことを言っていた。
考えるのを止めてはいけない。
先人は亡くなっていても、無ではない。
先人も今の自分たちの考えに影響を与える以上、ともに生き続けている。
あなたも(わたしも)思考が止まっていないか。
次に繋げるために考えるを止めてしまったら、また同じことの繰り返しではないか。
わたしの真の望みは、皆、穏やかに健やかに。奪うことなく、奪われることなく。この星の未来永劫の安寧と平和である。朝な夕な、そう祈る。
だから、わたしは『考える』は決して止めない。
先人に恥じて生きぬよう、それを糧として思考(努力)し続けよう。
見知らぬ誰かではない。あなた(わたし)の身近にあった出来事。そう意識するだけで、生かされているのだと、いつもの景色も奇跡の連続にあるのだと実感します。
そんなことを思い、久々にブログを更新しました。
読んでくださった方、ありがとうございます。